本日、東京競馬場にてG1ダート(砂)競争フェブラリーステークスが行なわれる。
今から遡ること、13年前1996年
まだG2競争であった同レースに一頭の牝馬(メス)が登場した。3番人気であった。
馬名は、「ホクトベガ」
彼女は、いつも陰のような存在で、
大舞台G1エリザベス女王杯を勝った時でさえ、“ベガはベガでもホクトベガ”
と一番人気の「ベガ」+武豊に勝つのが意外な名セリフまで残された存在であった。
確かに、人気馬「ベガ」に勝った割には、
その後、大した活躍も出来なかったのもまた事実であった。
しかし、ダート(砂)のレースに活路を開いてから、彼女は一変する。
当時付けられたアダ名が“砂の女王”であった。
ダートのレースを走り始めてからは、
圧倒的なレースが多く、
私も彼女見たさに浦和競馬場まで行った記憶がある。
浦和競馬場は、中央競馬場と違い、コースが非常に狭く、一旦馬群の中に置かれてしまうと身動き取れなく、そのままレースが終わることも多かった。
私は、少々素直じゃない部分も兼ね備えてるせいか、“砂の女王”が、馬群に揉まれ「もしや」の場合があるのでは?とイヤラシイ期待も含んでの観戦であった。
だが、結果は私の期待を裏切るを大きく上回る圧勝であった。
私が期待していた「馬群に揉まれる」なんてことは全く無かったのである。
その時の彼女は、既に、次元の違うスターホースになっていて、スタートと同時に先頭へ立ち、そのまま一周して帰って来ただけのことであった。
私は、つまらぬ期待のチッポケさを見せ付けられたと同時に、その強さに感動もした。
そのような強さの「ホクトベガ」は、世界への期待を持たれる様になる。
世界最高の賞金金額「ドバイワールドカップ」である。
彼女は、日本の期待を込められ、何処だか判らぬアラブの地へ飛び立った。
“虫の知らせ”“予知”と言う人が居るけれども、私はそのようなことは無いと思う。“予知”などしていれば、事前に察知し、回避するであろう。
馬である彼女がたとえ知っていたとしても、回避は出来ないであろうが、まさか二度と日本に帰って来れなくなるとは思っていなかったに違いない。
1997年第二回ドバイワールドカップ
レース途中、他馬と接触、ホクトベガ転倒、安楽死処分。
検疫の問題上、亡骸すら日本には戻って来れなかった・・・。
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この記事を読まなければ、私はそのことを知らずに
彼女の存在さえも知らないままだったわけですね。
知り合いのお店に競馬好きの人たちが集まることがあって
そこで話していたことです。
どうして競馬が好きなのか・・・
その馬に自分だけの物語(夢)を見ているみたいなこと言ってたように覚えています。
でも、彼ら自身にすでに物語はあるんですね。